
この人、常識がないなぁと思うことってありませんか。
たとえば、挨拶しても返さない人。
話しかけても、笑顔を見せず無愛想な人。
良いコミュニケーションとは、明るい挨拶と、笑顔を見せることだと信じて疑わなかった私は、人に不快感を与えるような態度を平気でする人の事を、ずっと不思議に思っていました。
どうして、そんな態度がとれるのかと。
私の場合は、会社の同僚でしたので、どうしても毎日顔を合わせます。
そのうち、その人と会うたび緊張するようになりました。
挨拶するべきなのか、しない方が良いのか。
挨拶しても、返事が返ってこないことは分かってるけど…
でも、すれ違ってお互い無言ってどうなんだろう…
そんな思いを抱いているうちに、どんどんストレスが溜まっていくのを感じるようになりました。
でも、ふと思ったのです。
私は一体、何をしているんだろうと。
私がどれだけストレスを感じようとも、相手は何も気にしていない。
それならば、自分の捉え方を変える必要があるのではと思いました。
勝手なストーリーを作る
いつも明るく気さくで、笑顔を絶やさず、みんなに愛されている人がいました。
ある時、その優しさに付け込まれ、大切な人に裏切られてしまいます。
酷く心を痛めた彼女は、それから誰にも心を開かなくなりました。
また裏切られるのではないかという恐怖心から、自分を固く閉ざし、他人との関わりを拒んでしまったのです。
※完全な妄想ストーリーですが、今までの人生で色々なことがあったのかもしれないと考えると、その人への見方が少し変わりました。
相手が求めている距離を保つ
勝手なストーリーを作った私は、その人と会うたび「大変だったんですね」と心で思うようになりました。
そのうち挨拶もしなくなりました。
でも、前ほど苦痛ではありませんでした。
きっと、相手はそれを望んでいるのだろうと思ったからです。
仕事中も一定の距離を保ち、用件のみを伝えるようにしていました。
そんなことを続けていると、その人から話しかけられることが多くなりました。
それも、ほとんど仕事とは関係のない雑談ばかりで、びっくりしたと同時に、凄く嬉しかったことを覚えています。
しかも、ちょっと微笑んでくれたんです。
なんだか仲良くなれた気がして舞い上がって、自分から話しかけてみたら微妙な対応だったりして、ちょっと凹んだことも。
でも、悪気がないことは分かっていました。
話をするようになって、本当はとても優しくて思いやりのある人だと知ったからです。
それだけに、話をしたことのない人には誤解されてしまうことが、凄く勿体なく感じました。
相手に期待しすぎない
こんな事を自慢するのは、おかしいですが、私は常識でがんじがらめの人間です。
自分が当たり前だと思うことは、相手も出来て当然だと思って生きてきました。
・挨拶されたなら、返すのが当然
・笑顔を向けられたなら、笑顔で返すのが当然
・優しくしてもらったなら、優しくするのが当然
・助けてもらったなら、感謝するのが当然
・人を傷つけたなら、謝って当然
そうして、無意識のうちに自分の常識を押し付けて、思い通りでなければ、非常識人と決め付けて線引きしてしまう。
今、思えば、相手に期待しすぎていたのかもしれません。
期待するから、裏切られた時にショックを受けて否定してしまうのだと思うからです。
相手に期待しないようにするだけで、些細なことでも自分のために何かしてくれた時、とても幸せな気持ちになれます。
常識だからやらなければ!と思っていたことも、心から出来るようになるのです。
それって、とても素敵ですよね。
さいごに
他人に対して「え?なんで?常識でしょ?」と思うことが多かった頃は、本当に様々なストレスを溜め込んでしまっていました。
自分のせいじゃないのに、なぜこんなに悩まなければならないのかと思ったこともありました。
ずっと嫌な気持ちを引きずっているせいで、さらに嫌な出来事が起こって、もう何もかもが嫌になってしまったり。
でも、それは全て自分の問題だったのだと気付きました。
嫌な気持ちになることを、自分が選んでいたのです。
同じ出来事が起こったとして、なんとも思わない人は大勢います。
嫌な気分になるか、良い気分になるか。
選べるのは他のだれでもなく、自分だけです。
楽しい毎日を過ごしていきましょう。