
学生時代の私は、とにかく真面目で優等生。
誰に対しても優しくおおらか。
いつも笑顔で周りを明るくし、困っている人がいれば手を差し伸べる。
反抗期も全くありませんでしたので、お子さんを持つ先生に「どうすれば、あんなに良い子に育つのですか?」と母が質問されるほどでした。
学生時代は何の悩みもなく、人間関係で悩んだことは一度もありませんでした。
社会に出て初めて、自分と周囲との感覚のズレを知ることになります。
相手の気持ちを考えずに発言や行動をする人、自分の気分によって態度が変わる人、平気で嘘をつく人…
本当に信じられませんでした。
社会とは、こういうものなのかと落胆し、自分だけはこうなってはいけないと、それからしばらくは自分を貫き通しました。
ですが、どんどん生きづらくなっていくのを感じるようになりました。
今までの自分を否定するわけではありませんが、このままではいけないと思いました。
いい子症候群とは?
親や大人の期待に答えようと、必要以上に自分を抑えて、いい子を演じようとする状態です。
・親や大人の言うことに反発せず、物分りが良い
・自己主張が苦手で、親の許可がないと判断できない
・反抗期がない
親や他人から見れば、非常に「いい子」であり、手の掛からない子供です。
その状態から抜け出せずに、そのまま成長し大人になると、生きづらさを感じるようになります。
原因は親子関係?
いい子症候群になってしまう原因として、幼少期の経験が大きく影響していると言われています。
・子供を褒めない
・他人の子供と比べる
・感情の起伏が激しい
・ルールや決まり事を尊重しすぎる
・親の言う事は絶対だと思っている
もちろん、どんな親も子供の幸せを願い、子供のためを思ってしていることですが、上記のような態度で接していると、子供は自信をなくしてしまいます。
私の母は、完璧主義で自分に厳しく、他人にも同じように求める傾向がありました。
完璧主義ゆえに「出来て当たり前」という考えを持ち、あまり褒められることはありませんでした。
怒ると黙り込むタイプのため、いい子でないと自分を受け入れてもらえないのだと理解していきました。
そんな母の価値観を与えられ、社会のルールはもちろんのこと、家庭内での決まり事は絶対であり、破ることは「悪」であると無意識のうちに学ぶことになります。
私の中に、常識とされることが増えていくたび、それを破ることへの罪悪感が増していきました。
・親に迷惑を掛けてはいけない
・親を悲しませてはいけない
中でも、特に上記2つを破ることは、罪であると考えるようになった私は、反抗期を抑え込み、気付けば「いい子」になっていました。
いい子症候群のまま大人になると生きづらくなる理由
・自分の意見は言わない
・相手の望みに合わせる
これが物心ついた頃から自然に身についていた私は、そうであることが世間の常識であると信じ込み、社会へ出て行くことになります。
そして10年をかけ、自分の生き方が間違っていたかもしれないと思うようになります。
いい子でいるとなぜ生きづらいのか、私の経験から挙げてみたいと思います。
人に嫌われることを極度に恐れる
幼い頃から、親の期待に答えることで自分の存在価値を感じていたため、他人の評価こそが一番大事だと思い込んでしまいます。
嫌われる=自分の存在を否定される=生きていけない
大げさだと思われるかもしれませんが、私は長年ずっと、この考えで過ごしてきたため、人に嫌われることを極度に恐れていました。
そのため、自分のことを嫌っているのでは?と感じる相手に、必要以上に執着してしまっていたのです。
どうにか自分を好きになってもらいたいと必死になったり、他人が不機嫌であれば自分のせいだと思い込み、罪悪感に苛まれました。
それどころか、すでに自分を好きでいてくれる人達から嫌われたらどうしよう…と実際には起こってもいないことに怯えてしまうほど、他人からの評価に拘っていました。
そうして、何気ない会話でさえも言葉に気を遣い、相手の行動1つ1つに意味を持たせて一喜一憂してしまうため、人と会うことに疲れを感じるようになってしまいました。
自分の気持ちが分からなくなる
徹底的な他人優先の生活を過ごしているうちに、自分が今何を思っているのかが分からなくなりました。
何が食べたい?何が欲しい?
どこへ行きたい?何したい?
そう聞かれても、
「…なんでもいい」
しか答えられなくなりました。
本当になんでもいいのです。
自分でも恐ろしいほど無欲になってしまいました。
心が折れやすい
幼い頃から「いい子」として育ち、叱られるという経験が極端に少ないため、少しの出来事でも心が折れやすくなります。
加えて、自分は何も出来ないと思い込んでいるので、些細なことで自己嫌悪に陥ります。
いい子を克服する方法
幼少期の経験のせいだ!親のせいだ!と責めたい気持ちも分かります。
でも、そのままでは、ずっと生きづらさを感じていかなければなりません。
私には子供がいませんので、子育ての大変さを知ることは出来ませんが、想像しただけで気が滅入りそうになります。
計り知れないストレスを抱えながら、親も必死だったはずです。
こうして大人になった今なら、きっと自分の力で変えていけるはずです。
自分の常識を捨てる
冒頭で書いた通り、学生時代は人間関係の悩みとは無縁だったため、自分の生き方について疑問に思う事は一切ありませんでした。
社会に出て、異なる価値観を持った多くの人達と接して初めて、やっと自分の常識が世間の常識ではないことを知りました。
例えば、自分が物凄く機嫌が悪いとします。
私は、それを他人には見せないことが常識だと思っていました。
相手が全く関係ない人ならなおさらのこと、たとえ相手が機嫌を悪くさせた張本人であっても感情を抑えるべきだとさえ思っていました。
そのため、相手にも同じように求めてしまい、それが出来ない人を非常識人だと捉えてしまうようになりました。
そうなってくると、周りは全て非常識人に思えてきてしまいます。
相手の気持ちを考えずに発言や行動をする人、自分の気分によって態度が変わる人、平気で嘘をつく人…
その中で過ごしていくのは、とても苦痛でした。
自分自身を縛り付けるだけの常識を手放すことで、心も身体も軽くなり、もっと気楽に生きられるようになります。
自己犠牲をやめる
私は、これまでの人生で一度も喧嘩をしたことがありません。
もちろん、怒りの感情がない訳ではありません。
頭にきたと思ったら、まずは冷静になるようにします。
相手が言った言葉や行動の意味を考え、相手の気持ちを理解するように努めます。
その後に、どう言えば相手に自分の不愉快さを分かってもらえるかを考えて発言します。
ただ、かなり柔らかい伝え方をするからか、いつの間にか何を言っても怒らない人という認識になり、さらに高圧的な態度をされたり、嫌なことや面倒ごとを押し付けられるようになっていきました。
色々なことに気を遣った結果、ただ自分を苦しめていただけだと思い知りました。
他人を優先することで得られるものは、自分を苦しめてまで欲しいものではないはずです。
本当の自分を知る
すっかり自分の意見を無くしてしまっていた私は、他人の考えこそが自分の考えであるかのように錯覚していました。
相手が言って欲しい言葉、してほしい行動を先読みし、喜んでもらえた時は本当に嬉しかったです。
でも、成長していくにつれ、自分に違和感を覚えるようになりました。
本来の私は、人見知りで根暗、大勢の人と話すのは苦手で1人が好きなはず。
それなのに、なぜ今までずっと真逆の自分で生きていたのか不思議でなりませんでした。
ですが最近、自分がHSPであることが分かり、人の顔色を伺ってしまうのは、元々の気質が関係していたのだと知ることができました。
何をしても「いい子」がやめられないと悩まれている方は、HSP診断テストを試してみることをオススメします。
さいごに
今までの人生で、誰よりも頑張ってくれていたのは紛れもなく自分です。
それなのに自分に感謝すらせず、もっと頑張れと苦しめてきました。
これからは、他人のことを考える時間を減らし、それまで放ったらかしにしていた自分自身に目を向けていくべきです。
全ての人が、自分の人生を生きられますように。